未来へ繋がることばたち。ときどきブログ
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先週末、夫の祖母が亡くなりました。
急遽会社から忌引をもらって、お通夜と告別式に参加しました。
私にとっては、亡くなった人の肌に触れるのは、これが2度目です。
1度目は、私の祖父の時。
その時は、祖父の冷えた肌に触れた瞬間、恐怖が私を支配しました。
涙も止まりませんでしたし、祖父が死んだことを受け入れることができずに、
その後何回か帰省したときも
墓参りにさえ行きませんでした。
でも今回、夫の祖母の遺体に触れた時は、不思議と心が落ち着いていました。
涙は出ましたが、前回と違い恐怖を感じることはなく、むしろ
自分の体があたたかいのを知ったような感覚でした。
―死を感じる自分は、生きている―
私が今、現にこうして生きているのだと
気付かせてくれたような、そんな気持になりました。
どこかで「葬式は、死んだ人のためではなく、
残された人のための儀式」だと聞いたことがあります。
それを聞いた当時の私は、
生きている人が死んだ人にお別れを言いたいからだと解釈していました。
でも今回、再び人の死に立ち会い
自分が生きていること、この命を大切にしようと思えたことで
儀式の本当の意味を知った気がします。
それを教えてもらえたことに、深く感謝しています。
ありがとう。
私は生きます。
あなたのいない、これからの日々を。
急遽会社から忌引をもらって、お通夜と告別式に参加しました。
私にとっては、亡くなった人の肌に触れるのは、これが2度目です。
1度目は、私の祖父の時。
その時は、祖父の冷えた肌に触れた瞬間、恐怖が私を支配しました。
涙も止まりませんでしたし、祖父が死んだことを受け入れることができずに、
その後何回か帰省したときも
墓参りにさえ行きませんでした。
でも今回、夫の祖母の遺体に触れた時は、不思議と心が落ち着いていました。
涙は出ましたが、前回と違い恐怖を感じることはなく、むしろ
自分の体があたたかいのを知ったような感覚でした。
―死を感じる自分は、生きている―
私が今、現にこうして生きているのだと
気付かせてくれたような、そんな気持になりました。
どこかで「葬式は、死んだ人のためではなく、
残された人のための儀式」だと聞いたことがあります。
それを聞いた当時の私は、
生きている人が死んだ人にお別れを言いたいからだと解釈していました。
でも今回、再び人の死に立ち会い
自分が生きていること、この命を大切にしようと思えたことで
儀式の本当の意味を知った気がします。
それを教えてもらえたことに、深く感謝しています。
ありがとう。
私は生きます。
あなたのいない、これからの日々を。
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